感じること

最近頭の片隅に残っている言葉。

 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。

山や岩と対峙する機会がめっぽう減っております。
が、一日中「英語」と対峙する生活を送るようになって、「感じること」を意識する今日この頃。
山や岩の話でなくてごめんなさい

読み・書きを中心とした学校教育の英語。
教科書の中で語られている英語の世界は、実際の世界の半分どころか比べ物になりませんでした。

ただその反面、日本の英文法教育は素晴しいものだとも、実感しました。

発音は極めて重要。
でもオウム返しだけだと、論理的に会話を組み立てることができない。
自分の考えを細かく伝えようとと思うと、文法を知らないと会話が成り立たない。

だから、もし皆さんが英語を話す機会があれば、自信を持ってください。
日本の英語教育の文法は、世界でも通じます。
画像


日本にいたときに会社の英会話教育を受けていました。
でも講師はネイティブのアメリカ人だけど、臨場感や必死さが違った。
授業自体はオウム返しや、テキスト見ながらの会話の練習。
授業が終われば、日本語の環境。
臨場感や必死さを駆り立てるものが会務だった。

今考えれば、日本での英会話教室よりも、アメリカのファーストフードに単身で行って、ハンバーガーを注文する方が相当勉強になったと思う。
英語通じないと飯にありつけないからそれはもう必死だった。 

また会議の英語の文例集を読むよりも、会議のプレゼンでアメリカ人の重役にバッサバッサと切られて窮地に立たされるほうが、相当ビビビッと来るものがあった。

これほど一生懸命になったのは、錫杖の岩場のクライミング以来だったかも。
(ベクトルはかなり違いますが、ニュアンス的に理解いただけたら幸いです)

逆に日本で擬似的にそういう環境を作ることができれば、日本にいながらでも英語の勉強は可能なのかも。
といいつつも、具体的にどうすればいいのかはわかりませんが・・・

これからも読む・書く・聞く・話す 四つをバランスよく、子供のように吸収していきたい。
そして、もっと現地のクライマーと絡んでいきたい。
ドタキャンされるのは、まだまだなんだな、と。

 「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない。
画像

"感じること" へのコメントを書く

お名前
メールアドレス
ホームページアドレス
コメント